空への夢の始まり③――いざ、アメリカへ留学!

空への夢の始まり③――いざ、アメリカへ留学!


 私の周りにはパイロットもいなければ、アメリカに留学している知人もいなかった。今とは違い、インターネットのない時代。片っ端から情報収集を開始したが、その中である留学斡旋機関の広告に目が止まった。自分の中ではすでに「留学する」と決めていたものの、具体的にどのようなステップが必要なのかが分からなかったので、その斡旋機関に留学の相談をしたいと両親に告げた。本気でアメリカへの進学を希望する私に対して、父は当初、困惑を隠せない様子だった。しかし、きちんと話を聞いてくれた父は、その機関に連絡してくれただけでなく、その機関を通じて既に子供を留学させている方に話を聞くため、わざわざ休暇をとって東京に出向いてくれた。

 ちなみに、私には妹がいる。妹は幼い頃から英語が好きで、スピーチ・コンテストに参加するほど熱心に英語を勉強していた。家族は皆、妹は留学を希望するだろうと予測していたが、勉強が嫌いで英語が苦手の私がまさか留学したいと言い出すとは思ってもいなかったに違いない。それでも母は、涙ぐみながらも「自分の将来は自分で決めなさい」と言ってくれた。いつもは明るい母が自分の前で涙ぐむ姿など見たことは、ほとんどない。記憶にあるのは幼い頃、母の祖母が亡くなった時に涙しているのを見たくらいだ。だから、そんな母の姿を見た途端、自分の言い出している事の大きさを身にしみて感じた。

 インターネットで何でもすぐに調べられる現在とは違い、当時はとにかく情報を探しあてることさえ大変だった。そのゆえに留学斡旋機関が提供してくれたアメリカの情報は私にとってはとても価値があり、すべてが新鮮に思えた。そこからの情報によって、アメリカのいくつかの大学には航空学科があることを知ったのだ。私は迷わず、航空学科のある大学に留学することを決めた。「夢に一歩近づけた!」と思った。

 しかし、夢への道は遠かった。アメリカの航空学科で勉強する大前提は、言うまでもなく英語を理解することだ。繰り返すが、当時の私は英語が大の苦手だったので、英語が必要な職業に自分が就くとは思っていなかった。パイロットになることが子供の頃からの夢だったにも関わらず、恥ずかしながら、それには英語が必須であることを知らなかったのだ。私にとっても英語学習は「必然性」の結果。本気でパイロットになりたいと思っていなければ、きっと私は今でも英語の勉強を避けていたと思う。

 留学する直前には、少なくとも自己紹介だけは英語でできるように一生懸命練習した。“Hello! My name is Miwa Aoki, Nice to meet you”から始まり、自分の家族構成や出身地、趣味などを言えるように練習した。その頃の私には、それが精いっぱいだった。それでも何とか、私は故郷を後にしたのだった。

 アメリカではまず、ESL(English Second Language)のクラスに入った。専門を学ぶ以前に、英語を習得しなければならない私にとっての第一関門だ。希望とやる気だけは人一倍あったので、ここに来て生まれて初めて英語を心から勉強したいと思ったことをお覚えている。この時に英語を勉強した経験は、英語を習得した以上の意味をもって今も自分の人生に役立っている。英語を短期で理解できるようになるには、今まで経験したことのないような根気に加え、集中力が必要だった。ELSでの学習を通じて養った「集中力」は、その後パイロットへの道を究めるために必要な勉強を重ねる留学生活の基盤になったことは間違いない。自分の限界というものは、自分が作っているに過ぎない。テストのたびに勉強ができないことを親や先生に叱られ続けていた私は、その時はじめて「自分が出来なかったのは勉強そのものではなかった」ことに気づいたのだった。勉強ができなかった理由はただひとつ、「勉強をしなかったせい」だった……。

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