チャック・ベリーと関西空港のベンチ

チャック・ベリーと関西空港のベンチ


 今月はメアリー・J・ブライジの3週間に渡るヨーロッパ・ツアーに帯同している。6月中旬からフロリダ州マイアミにて、同ツアーのリハーサルを数週間行った後、まずはアメリカ独立記念日を祝うイベント“Welcome America Festival”に出演するため、フィラデルフィアに移動した。 その会場はなんと、映画『ロッキー』で主人公ロッキー・バルボア( シルベスター・スタローン)がトレーニング中に建物の階段を駆け上って頂点に達した時に雄叫びを上げるシーンが撮影された場所だったので、階段を目にするたびに、ロッキーのテーマソングが鳴り響いて、ひとりでニヤニヤしてしまった。

 さて、今回のヨーロッパは全行程すべてジャズ・フェスティバルに参加するツアーだ。フィラデルフィアからアムステルダムに飛び、ロッテルダムNorth Sea Jazz Festivalにはじまり、スイス・チューリッヒ、フランス、イタリア、バーミンガム、ロンドン、ニース、スウェーデンと回っている。正統派ジャズがあり、ロックやR&Bと多種にわたる音楽を楽しめる土壌にいつもながら感心させられる。ヨーロッパのジャズ・フェスティバルのほとんどが地域密着型で、市や町が主催している。そのためチケット価格も破格に低く設定され、普段R&Bは聞かないような人たちも楽しんでいる様子をみると、これが本来のフェスティバルの姿なんだとつくづく実感する。そもそもジャズがヨーロッパで、特にフランス・パリで人気があり、たくさんの才能あるミュージシャンがアメリカから訪れたり、移住や居住したのは母国アメリカで人種差別に苦しんだ彼らも、ヨーロッパではその才能を尊敬と憧れを持って受け入れられたという歴史があるからだという。

 ジャズ・フェスティバルは、今はジャズだけでなく多種多様なジャンルの音楽家たちが自らの才能を発揮する場になっている。今回ある会場の楽屋の壁に、過去に出演したミュージシャンたちの写真やポスターがたくさん貼られていた。その中には、チャック・ベリーの写真もあった。説明不要なほど有名な、ロックン・ロールの創始者といわれる黒人ミュージシャンが、例のギターを弾きながら腰をおとして片足をトントンとあげる得意のポーズを決めている写真だった。残念ながら今年3月に90歳で亡くなられた が、 彼の影響を受けたミュージシャン達の名前を挙げれば、彼が音楽シーンに与えた衝撃と彼がいかに凄いミュージシャンだったかは一目瞭然だろう。

 実は日本で現役プロモーターだった頃、チャック・ベリーを招聘し、彼の日本滞在中に帯同させていただいた経験がある。彼がどれだけ偉大なミュージシャンであるかは、頭で理解していたつもりだった。だが、実際に帯同させて頂くと、彼は私がそれまでに仕事でかかわらせて頂いたいわゆるアーティストたちと違っていた。通常、外国から招聘したアーティストたちは、ホテルのランクや部屋の大きさ、移動の車の車種、ケータリングの内容への要望と無理難題ばかりを言ってくる。それに慣れていた私は、ベリー氏がとても静かで言葉少なく、何をとってもいたって普通だったので、逆に「これでいいのか?」と心配になってきた。こんな言い方は失礼を承知で申し上げるが、ベリー氏の帯同はとてもラクだったのだ。あの日までは……。

 それは、東京公演を終えて最終地の 大阪に移動した翌日、公演日のことだった。大阪に移動する前からベリー氏は「帰国便のコンファメーションをしないといけない」とおっしゃっていたので、彼が行わずとも、私が電話で航空会社に確認を取るのでご安心をと何度お伝えしても、ベリー氏は自分で空港のチェックインカウンターで確認したいと言う。当時は今と違って、国際便の出発の前日までに「リコンファーム」といって航空会社に連絡し、予定された便に予約があることを確認する必要があった。しかし、その日は公演日。それゆえ私は、「公演日ですし、公演前に関西空港まで往復したらお疲れになるので、私が電話で確認を」とお伝えしたが、「いや、自分で確認に行きたいのです」と言われる。困った私は、「それでは私が関空へ行って来ますので、ミスター・ベリーはホテルでお待ちください」と言うと、それまでは何もリクエストをされない方だったのに、「今ホテルを出れば、公演開始の何時間も前にホテルに戻って来られるはずです。一緒にいきましょう」と、押しの強さを見せられた。ここまで言われては、もう行くしかない。彼のフライトはアメリカの旅行会社によって予約購入が完了しており、何も問題ないと彼のマネージメントからも連絡が入っていたが、ご本人が「自分が行く」と言って部屋を出られてしまったので、急いで彼用の車の運転担当者に連絡をして、私も一緒に関西空港へ向かった。

 出発ロビーのユナイテッド航空の搭乗カウンターに到着したが、当時はアメリカ行きのフライトがそれほど頻繁にはなく、カウンターに係員は1人もおらず、私は真っ青になった。それでも、ベリー氏は係員のいないカウンターの前から動かない。急いでユナイテッド航空に電話をすると、「カウンターは30分後にオープンするので、それまでお待ち下さい」と呑気なことを言う。これからコンサートがあるという事情も説明したが、さすが外資系、「30分後に確実に係員がまいりますので、それまでお待ち下さい」。その事情をベリー氏に話し、「どうかお願いだから、あちらのベンチに座っていただけないか」と説得して、カウンターの見える位置にあるベンチに一緒に座った。

 大スターでありながら、なんだかどこか落ち着かなく不安そうな彼を見て、私は思わず「いつも、こうしてご自分で空港まで来て、フライトを確認なさるのですか?」と聞いてしまった。しかも、よせばいいのに「なぜ、そんなことをされるのですか?」とまで。

 するとチャック・ベリー氏は、こう答えたのだ。「昔はプロモーターやマネージメントから約束された支払いをされなかったり、騙されることが多かったので、それがトラウマになっているのかも」と。

 ああ、やはり、と思った途端、私は次の言葉に詰まってしまった。黒人ミュージシャンの彼は差別が横行する中で、搾取された時代を生きた人なのだ。世界的に有名なアーティストとしての地位を確立し、音楽業界に多大な影響力をもってしても、こんなに不安そうにしている偉大なロックンローラー。その彼の横に座って聞いた彼の言葉が、胸にずしりと刺さった。

 チャック・ベリー氏と関西空港内のベンチに座って話した会話によって、私は自分の仕事に対する姿勢、人に対する接し方や話し方など全てに対して、まるで目から鱗が落ちたような思いであった。物事の表面だけを見ていてはダメなのだ。もっと深く真面目に物事に取り組まないとダメなのだ、と。あっという間に30分が過ぎ、約束通り係員がカウンターへやってくると、彼はすくっと立ち上がり、さっさとカウンターの方へ歩き出したので、私も急いで追い掛けた。無事に翌日のフライトのリコンファームが出来ると、彼はとても安心したようだった。「では、ホテルへ帰ろう」と待たせていた車に乗り込み、私たちはホテルへ戻った。その後の大阪での公演も大盛況に終わった。舞台で熱狂的にギターを弾き歌うチャック・ベリーというミュージシャンに対し、大きな声援を送るお客様たちは皆とても満足そうだった。

 ヨーロッパのツアー会場に貼られたチャック・ベリーの写真を見た時、この大阪関空での古い思い出が頭をよぎった。そして、ふと「 彼は何度ぐらい自ら空港へ出向いて、翌日のフライトの確認をしたのだろうか」と思った。

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