ひとつ10セントだったウイングも今は79セント
つい先日、大学時代のルームメイトと食事に行った。僕たちは頻繁に連絡を取りあってはいなかったが、フェイスブックで繋がっていた。そして、フェイスブックを通じて、たまたま同じ時期に帰郷することがわかった。何回かテキスト・メッセージをやり取りした後、大学時代によく一緒に時間を過ごした場所で会うことになった。そこは大学近くにある、安いビールとバッファロー・ウイングが専門のバーで、学生の頃は月曜日、大抵そこで夕食を食べた。なぜなら、月曜日はバッファロー・ウイングがいつもよりさらに安く、1つ10セント(約11円)だったからだ。たった2、3ドルでお腹がいっぱいになり、ビールを飲みながら授業や女の子の話をした。「10セント・ウイングナイト」はすごく人気があり、学生たちは安い食べ物とビールに感謝していた。
僕たちは、学生時代に住んでいた家の前の道で待ち合わせて、バーまで歩いた。その道中、すれ違うほとんどの大学生たちが、歩きながらスマートフォンを使っていることに気がついた。彼らはイヤホンをつけ、スクリーンを見つめながらテキストを打っていた。一緒にいながらも互いの存在には気を留めず、それぞれの携帯に集中している学生のグループがいくつもあった。それを見て僕は、今の大学生活は僕たちの頃とは全く違うんだろうなと思った。僕たちの大学時代は、台所の壁にかかっていた電話をみんなで使っていた。もし友達と会うなら、家を出る前に全ての準備をしておかなければいけなかった。もし誰かと連絡を取りたければ、その人の家に電話をして、その人がいなければメッセージを残した。そして、その人が家に戻るまで折り返しの電話が来ることは期待しなかった。何人かはコンピューターを持っていたが、コンピューター・サイエンスの勉強でもしていない限り、ワープロとして使っていた。もし何かの情報を調べたければ、図書館に行って本を見つけなければいけなかった。現在は、こういった全てのことが、僕たちがポケットに入れて持ち歩いている機器ひとつでできる。スマートフォンがなかった頃、僕たちはどうやって全てのことをこなしていたのか、思い出すことさえ難しかった。
バーに到着すると、その日は月曜日だったので、結構混んでいた。席について、ビールのピッチャーを頼み、バーテンダーに「10セント・バッファロー・ウイング」はまだあるかと聞いてみた。バーテンダーは笑って、今は月曜日のスペシャルは1つ79セント(約87円)だと教えてくれた。ずいぶん前から、バッファロー・ウイングを10セントでは提供できなくなったそうだ。
僕らは、ウイングが20個入ったプレートを頼んだ。バーの中を見渡してみると、値段は高くなってしまったが、バッファロー・ウイングは今も大学生に人気があるようだった。
バッファロー・ウイングが人気の理由とは
何年も前、ほとんどのレストランでは、鶏肉は肉がたっぷりと付いた胸と足の部分を好んで提供していたので、ウイング(羽の部分)は残った。バーは残ったウイングを安く買って安く売ることができた。しかし現在では、バッファロー・ウイング専門のチェーン店が出来たりして需要が増え、値段はかなり上がってしまった。
バッファロー・ウイングの名前の由来は、その発祥地であるニューヨークのバッファローという町から来ている。あるバーのオーナーが、発注の間違えによって鶏のウイングが大量に届いてしまった時に考案したといわれている。そのオーナーはウイングを油であげ、溶かしたバターと酢とホットペッパーソースを混ぜたドロッとしたものでコーティングした。このドロッとしたものは現在、バッファロー・ソースとして知られている。オーナーは、このチキンをディップするブルーチーズ・ソースとセロリ・スティックを添えて、お腹をすかせた客に提供したところ大変評判になり、新たにメニューに加えられることになった。以来、バッファロー・ウイングの人気はずっと続き、現在はアメリカのほとんどの街のレストランやバーで提供されている。
僕たちが頼んだバッファロー・ウイングが、山積みのナプキンと一緒に運ばれてきた。手や周囲を汚さずにウイングを食べるのは、とても難しい。僕たちはウイングを食べながら、大学時代の昔話に花を咲かせた。それぞれが今でも連絡を取っている人たちについての最新情報を交換し、自分の今の仕事や家族についても語った。久しぶりに会い、お互いの近況について話し合うことができて、すごく良かった。僕たちは長い間話していたが、会話も落ち着いてきた頃にふと、それまでとは周囲の様子が異なることに気が付いた。バーは客の会話でうるさかったのだ。周りを見渡してみると、誰もスマートフォンを使っていない。ウイングを食べながら、テキストを打つことはできないからである(携帯がバッファロー・ソースで汚れても良いなら別だが……)。まるで僕たちが大学生だった頃のように、バーの中にいるすべての人が会話をしていた。こんな様子は最近なかなか見られないので、なんだか、とても良いものを見たような気がした。
僕たちはビールを飲み終え、手を洗って店を出た。これからはもっと頻繁に会うようにしようという意見で一致した。彼は妻に「今から帰る」とテキストで知らせ、僕はアプリでウーバーを頼んで、バーの前で別れた。そして、僕たちは普通の生活に戻った。

オーガニックワインや野菜の生産で有名なシアトル近郊、Woodinville。その街を代表する農場「21エーカース」の料理人、サリバン夫妻が語るサステイナブルな食とは? 『地球に優しく世界を食べよう!』。「アメリカの食」は多様性に富んでいる。それを通して見える「日本の食文化」の素晴らしさとは、何であろうか?
アメリカ中西部オハイオ州の小さな田舎街に生まれる。オハイオ州立大学に通った後、アメリカ各地を転々と暮らしながら旅をした経験を持つ。これまでに就いた職業は飲食業、ツアーガイド、ミュージシャン、セールスマン、オフィス勤務、物書き、長距離トラック運転手、花屋さんなど多岐に及ぶ。現在はワシントン州にある国際輸送業関連会社に勤務し、平日は会社でデスクワーク、週末は趣味のハイキング、ランニング、写真撮影などに勤しんでいる。料理と食べること、そして自分と異なる文化を知ることが何よりも好き。文化の違いを学ぶだけでなく、共に美しい地球上で生きる者として、その差異の中にも人間として何か共通点を見つけることを常に心掛けている。